フランス中世時代のお菓子

中世時代は素朴な焼き菓子や果物のタルトが中心

中世時代にはお菓子という認識はほとんどなく、パティスリーが広く知られるようになるのは18世紀まで待たないといけません。ただ、中世でも甘いお菓子のような食べものは食べられていました。

中世のフランスの修道院や貴族、庶民や農民の間で食べられていた甘いお菓子を紹介します。

修道院で作っていたお菓子

修道院は大領主として土地を支配しており、農民から小麦などの穀物、ぶどう、はちみつ、卵やチーズなどを納めさせていました。それらの材料をもちいてパンやお菓子をつくっていました。

修道院がお菓子作りのパイオニアだったといえます。

ウーブリ Oublies

小麦粉と卵、ワインを混ぜて作った生地を平らな2枚の鉄板の間に挟んで、燠(炭火)の中に入れて焼いたお菓子。ゴーフルのような食べもので、聖体パン(Hostiesホスチア)に似ているお菓子でした。

中世時代に最も好まれたお菓子で、ウーブリをつくる専門の職人(ウブロワイエ)も出てきました。

エウロギア

酵母を用いないため膨らませないパンで、窯で焼いて作ります。ギリシア語で「祝福」の意味をもっており、修道院では食事前や空腹時に食べていたお菓子です。

ウーブリもエウロギアもはじめは修道院で作られていましたが、しだいに庶民の間にも広がっていき、専門の職人がこれらのお菓子を売るようになっていきました。

パンデピス Pain d’épices

パンデピスとは香辛料と蜂蜜のはいったお菓子のことです。十字軍の遠征によりフランスに香辛料が入ってくるようになり作られるようになりました。

庶民が食べていたお菓子

庶民の間でも甘いお菓子を食べていました。修道院から伝わったお菓子や小麦粉や卵などを用いたシンプルなお菓子、果物を使ったタルトなどを中心に食べていました。甘味は砂糖はまだ貴重だったため、蜂蜜や果物の甘味を利用していました。

エショデ Échaudés

小麦粉を練って小さな輪を作り、湯の中で茹でて、ぶどうの蔓の灰を加えて乾かし、窯で焼いたお菓子。その後、改良してアニスで香り付けをしていました。街角や広場、市場で売られていました。

ニウール Nieules

一種のゴーフルのような小麦粉をベースにしたお菓子で、ウーブリと同じものを指していることもあります。軽く繊細で雲のように軽かったといわれています。修道院が聖霊降臨祭(ペンテコステ)に信者に配っていたのをきっかけに庶民の間にも広まっていきました。

18世紀のスタニスラス王も大好きなお菓子でした。

クルート Croûtes

小麦粉でつくった生地にチーズを挟んで焼いたお菓子。パン職人によって作られるもので、タルトの元祖ともいわれています。

フラン Flans

フランとは小麦粉の生地で作った器に、牛乳や卵や小麦粉で混ぜた液を加えて焼いたお菓子です。この頃はアーモンドミルクと米粉で作っていました。

パンペルデュ Pain perdu

パンペルデュとはかたく乾燥したパンを牛乳や卵などの液に漬けて焼いたお菓子です。当時は蜂蜜で甘味をつけ、果物やチーズを添えて食べたのではないかと考えられます。現在もあるデザートです。

ブランマンジェ Blancs-mangers

ブランマンジェとはアーモンドミルクとゼラチンを混ぜて固めた冷たいデザートです。当時はゼラチンは用いずに、アーモンドミルクに蜂蜜などで甘味をつけたデザートだったと考えられます。

ガレット Galettes

ガレットとは小麦粉で作った生地を丸く焼いたお菓子です。パンケーキやクレープ、クッキーなどのことを指しています。

フワス Fouaces

白い上質小麦粉でつくったガレットのこと。

そのほか、ダリヨル、フラミッシュ、ゴィエール、キュイニェ、ブリオッシュなどのお菓子を作って食べていました。ほかに果物やチーズを詰めたタルトも食べていました。

農民が食べていたお菓子

小麦粉でつくった生地にりんごや梨、ぶどう、さくらんぼ、栗、マルメロなど季節の果物をのせて焼いたタルトを一般的に食べていました。

生地をそのまま器にして、その中に果物やチーズ、牛乳や卵で作った液を流して焼いていました。これがタルトの元祖です。

さらに、小麦粉などで作るクレープなども食べていました。

貴族が食べていたデザート・お菓子

十字軍によってアラブ諸国から砂糖や香辛料が導入されたことによって、貴族の館ではそれらをつかった料理やデザートが作られるようになりました。

王侯貴族に仕えていた料理人であるタイユヴァンがしるしたフランス最古の料理本の中には、貴族が食事の最後に食べたデザートがあります。

りんごや洋梨、さくらんぼやプラム、イチジク、ぶどう、セイヨウカリンなどの多くの果物が穫れるようになり、それらに砂糖を加えてコンポートや砂糖煮が作られました。クルミやドラジェ(糖衣させたアーモンド)などのボンボンやナッツ類をもちいたヌガーなども食べられていました。

また、パンは酵母を用いて、現在のようにふんわりとしていました。

デザートDessertは動詞Desservir(食事の後片付けをする)に由来しています。塩味の食事が終わったあとに甘味の食事を出すためにテーブルを片付けることを意味しています。貴族の館では甘味の食事として、コンフィズリー、コンフィチュール(ジャム)、コンポート、ドラジェ、ドライフルーツなどの果物をつかったもの、フランやクレープ、リソルなど小麦粉をつかった焼き菓子を提供していました。

リソル Rissoles

オレンジ水で香りを付けたパイ生地を小さな半月型にして、油で揚げたお菓子。釜で焼くこともありました。また、柔らかいパイ生地にりんご、いちじく、干しぶどうなどを詰めることもありました。

そのほかにも米のミルク粥やパンデピスなども食卓にのぼっていました。

各時代のお菓子
中世時代